金閣寺、正式には鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都に位置する日本を代表する観光名所の一つです。
その美しい金箔を施した外観と、静寂な池に映る姿が人々を魅了してやみません。
本記事では、金閣寺が建てられた時期とその歴史的背景について詳しく掘り下げていきます。
金閣寺は、ただの観光名所ではなく、室町時代の文化や政治、宗教的な背景を色濃く反映した重要な遺産です。その建設の経緯や意図を理解することで、当時の日本社会や文化について深堀りしましょう!
一緒に金閣寺の歴史を紐解いていこう!
金閣寺が建てられたのは応永4年(1397年)
金閣寺は、室町幕府の三代将軍足利義満が応永4年(1397年)に建てました。
足利義満この寺を自らの別荘として建設し、その後、死後に禅寺として使用されました。
ちなみに金閣寺は、1950年に当時見習い僧侶の放火事件によって一度焼失したのち、1955年に再建されています。この再建には、当時の技術や伝統を生かした復元が行われ、現在も多くの観光客が訪れる名所となっています。
私たちが見ている金閣寺は、立て直したやつだったのね!
金閣寺の正規式名称は北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)
金閣寺の正式名称は、北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)。
ちなみに金閣寺は、建物に金箔が貼られており、その見た目から「金閣寺」と呼ばれています。
銀閣寺も銀箔をつけてほしかった。
金閣寺を立てたのは室町幕府の三代将軍「足利義満」
金閣寺を立てたのは、室町幕府の三代将軍の足利義満(1358年 – 1408年)。
11歳で将軍職に就き、父・足利義詮(あしかが よしあき)の跡を継ぎ、日本国内の統一と安定を目指し、多くの改革と政策を実行しました。
彼の治世は「北山文化」と呼ばれ、華やかな文化と芸術が栄えました。茶道や能楽などの伝統文化を保護し、さらに中国の明王朝との貿易を推進しました。この時代における文化的交流は、日本の美術や建築に大きな影響を与えました。
そんな人だからあんなド派手な金閣寺を作ったのね♪
なぜ金閣寺は建てられた?
まず、足利義満が自らの権力を誇示するために金閣寺を建てました。
室町幕府を安定させるために自分の権力を強化する必要があり、華やかで目を引く建物を建てることを目的とし、義満の隠居所として設計。
金箔で覆われた金閣寺は、その輝かしい外観からも明らかなように、権威と富を象徴する建物になりました。
その他にも、義満は禅宗に深く傾倒していたので、多くの禅寺を支援の一つとして、禅の教えと実践の場となったといわれています。
ファラオもそうっすけど、権力者って派手好きなのよね。
まとめ|金閣寺は将軍の権力誇示のために1397年に建てられた
本記事では、金閣寺が建てられた時期とその歴史的背景について解説しました。
金閣寺が建てられた背景には、将軍の思惑があったんですね。
今の時代ではあまり考えられませんが、建物で権力を誇示しようという考え方が面白いですね♪
でも、見ると確かにすげーってなる!
将軍様の思惑にはまっとるやん!
妄想|金閣寺でゴールドの展示会を開きたい
あれっすよ、よく百貨店で開催される金を展示するやつ。
「だれがそんなの買うんじゃい」と思う、1000万オーバーの超高額商品が販売されてるやつです。
あれを金閣寺でやったら、めっちゃ豪華じゃないっすか?
建物も金、展示品も金、どこを見ても金。訪れた人がみんなハッピーになること間違いなしです♪
人生で1度でいいので、「もう金は見たくない」ってくらい金に埋もれてみたいっすね。
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