山の斜面を下る太い管。その先に立つ、宮殿のような大きな発電所。
ノルウェーの世界遺産「リューカンとノトデンの産業遺産群」には、水の力を大規模な産業へ結びつけた風景が残っています。
ここでつくられた電気の重要な使い道は、実は「肥料の生産」でした。
水力発電と肥料。一見すると離れているようですが、この二つの間には空気中の窒素を利用する技術がありました。
この記事では、水システムの中でも、水の力を電気に変え、その電気で肥料をつくる仕組みに注目します。 農地へ直接水を届けるのとは違う、水と食料生産のつながりを見ていきましょう。
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発電所から工場、街までが一つの世界遺産
リューカンとノトデンは、ノルウェー南部のテレマルク地方にあります。
この地域では20世紀初頭、ノルスク・ハイドロ社によって、水力発電を利用した窒素肥料の生産が進められました。背景にあったのは、農業生産を増やすための肥料への需要です。
正式名:リューカン=ノトデンの産業遺産
保有国:ノルウェー
登録年:2015年
登録基準:ⅱ、ⅳ
その他:滝の力を電気へ、電気を肥料へ。水力発電が町と産業まで生み出した世界遺産
世界遺産はリューカンからノトデンまで広範囲に及ぶので、まず中心となるリューカン側の地図を掲載します。
構成するのは、発電所や肥料工場だけではありません。ダム、導水施設、送電設備、鉄道やフェリー、働く人々が暮らした街も含まれています。
水を集め、電気をつくり、工場を動かし、製品を運ぶ。その仕事を続けるために人々の生活の場も整える。
一つの製品を生み出すために必要だった仕組みが、地域の景観として残っている世界遺産です。
水力発電の電気で空気中の窒素を肥料に変える
作物が育つには、水や日光に加えて窒素などの養分が必要です。
窒素は空気中に豊富にありますが多くの作物はそのまま取り込めません。根から吸収できる硝酸イオンなどの形に変える必要があります。
この課題に取り組んだのが、物理学者クリスチャン・ビルケランと、技術者で事業家のサム・エイデです。二人が開発した「ビルケラン=エイデ法」では、強い放電で生じる高温を使い、空気中の窒素と酸素を反応させました。
そこから硝酸をつくり、さらに石灰石と反応させて硝酸カルシウムを主成分とする肥料へ加工します。この化学反応に必要な電気を供給したのが、水力発電でした。
水の力で電気をつくり、その電気で空気中の窒素を肥料に変える。 水と農業をつないだのは、発電と化学の技術だったのです。
ただし、この方法には大量の電力が必要でした。
工場で肥料をつくり続けるには十分な電気を継続して供給しなければなりません。そこで力を発揮したのが、ノルウェーの豊かな水資源と山地の高低差でした。
【ヴェモルク発電所】約300メートルの落差で肥料工場を稼働

旧ヴェモルク発電所と山の斜面を下る水圧管
写真:Michael Spiller/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0
リューカンにある旧ヴェモルク発電所は、1911年に運転を始めた当時、世界最大の水力発電所でした。約300メートルの落差を利用し、肥料づくりに必要な大量の電気を供給しました。
水力発電は、高い場所から低い場所へ流れる水で水車を回し、その回転を発電機へ伝えて電気をつくる仕組みです。流す水の量と、利用できる高さの差が、発電の出力に関わります。
ヴェモルク発電所の山側から下る管は、高い位置にある水を水車へ導く設備です。
建物と、その上に続く水の通り道を一緒に見ると、山の高低差をどう電気に変えたのかが見えてきます。
川から取り入れた水を導水施設に通し、管で水車まで届ける。上流の湖を利用した貯水や水量の調整も、発電を支えました。どこから水を取り、どれだけの落差と水量を使うか。地形に合わせて設備を組み合わせることで、肥料工場を動かす電力を生み出したのです。
旧発電所は1971年に運転を終え、その役割は新しい地下発電所へ引き継がれました。現在見られる歴史的な建物は、かつてこの場所で電気をつくっていた施設です。
山間部の肥料工場を鉄道とフェリーが市場へつないだ

マール(Mæl)に停泊する鉄道フェリー「アモニア号」
写真:David40226543/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0
水力発電に適した山間部で肥料をつくっても、農業に役立てるには、使う場所まで運ぶ必要があります。
リューカンとノトデンでは、鉄道と湖上のフェリーを組み合わせ、原料や製品を運びました。豊富な水力を利用する工場と、遠くの市場を結ぶ輸送網も、産業を支える大切な設備だったのです。
工場や鉄道で働く人々の住宅や生活施設も整えられ街が発展しました。
発電所で電気をつくり、工場で肥料に変え、輸送網で届ける。その仕事を、人々の暮らす街が支える。 このつながりに目を向けると、世界遺産に工場だけでなく、鉄道や住宅まで含まれる理由が見えてきます。
水インフラと肥料工場の結びつき
僕がこの遺産で面白いと感じるのは、水力発電がその先の目的と強く結びついていることです。
発電所だけを見れば、どれほどの電気をつくれるかに関心が向きます。しかし、肥料工場と一緒に見ると、「工場が必要とする電気を供給できるか」という見方になります。
一般に、水の流量は季節や天候によって変わります。一方で、工場には生産の予定があります。
その間をつなぐには、水を蓄えたり、発電に使う量を調整したりする必要があります。水車や発電機が健全でも、水が不足すれば同じ出力を保てません。電気を届ける設備に問題があっても、生産に影響します。
設備はそれぞれが動くだけでは十分ではありません。前後の設備とつながり、目的に必要な働きをして初めて役に立ちます。
この視点で見ると、斜面の管も送電設備も、肥料づくりを支えた具体的な役割をがあることがわかりますね。
まとめ:技術が変わっても残る、産業の出発点
ビルケラン=エイデ法は、空気中の窒素を工業的に利用する先駆的な方法でした。
その後、肥料生産の技術は進歩し、ノルスク・ハイドロも、より効率的なハーバー=ボッシュ法を用いる生産へ移っていきます。初期の方法が、そのまま現在まで主役であり続けたわけではありません。
それでも、リューカンとノトデンの価値は失われません。
個人的には、このリューカン=ノトデンには、科学の発見を大規模な産業へ育てるために何が必要だったのかが残されていると感じます。
化学反応の発見に、水力発電、工場建設、輸送、街づくりが結びつく。それによって、実験室で可能になったことが、社会で使える製品へと変わりました。
農業を支える水というと、田畑へ流れる用水を思い浮かべます。
しかしこの場所では、水が電気を生み、その電気が肥料の生産を支えました。ノルウェーの山を流れる水は、産業を通じて、遠くの農地ともつながっていたのです。
大きな発電所の写真を見るとき、その電気が何のために使われたのかまで考えてみる。
すると、山の斜面を下る管の先に、工場だけでなく、作物を育てる人々の営みも見えてきます。自分の職業が歴史の連続性からなり、誇れる証拠となる世界遺産でした。
- UNESCO世界遺産センター「Rjukan-Notodden Industrial Heritage Site」
登録情報、産業遺産の構成、水力発電と肥料産業の関係。 - ノルウェー産業労働者博物館「Our life in world heritage」
肥料生産の背景と、発電所・工場・輸送・都市のつながり。 - ノルウェー水資源・エネルギー庁「Vemork」
ヴェモルク発電所の歴史、落差、導水・貯水設備。 - ノルウェー文化遺産局「Vemork gamle kraftstasjon」
旧発電所の建築と、新発電所への移行。 - Hydro「1904: A project of caliber」
ビルケラン=エイデ法の開発と、工業化に必要だった電力。 - 英国王立化学会・歴史部会の論考(PDF)
電弧法による硝酸・硝酸カルシウムの製造工程。 - Hydro「Progress of a different nature for 110 years」
水力を利用した肥料事業の展開と、その後の製法の転換。

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