静岡県の韮山反射炉と、山口県の萩反射炉。
同じ「反射炉」という名前ですが、写真を並べると、外観にも違いがあります。
クレオさんなにが違うんや?あぁぁん?(怒)
大きな違いは、韮山が実際に大砲製造に使われた施設であるのに対し、萩は技術を確かめるための試作炉と考えられていることです。現在残っている部分にも違いがあります。
この記事で詳しくみていきます。
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同じ世界遺産なのに?韮山反射炉と萩反射炉の違いを比較
どちらの反射炉も「明治日本の産業遺産」に登録された構成資産です。
そして反射炉は、金属を高温で溶かし大砲などを造るために使われた炉を指します。
炉の天井からの熱を利用して金属を加熱する仕組みで、幕末の日本では海防を強化するために、その導入が進められました。
| 比較項目 | 韮山反射炉 | 萩反射炉 |
|---|---|---|
| 所在地 | 静岡県伊豆の国市 | 山口県萩市 |
| 完成・建設年 | 1857年完成 | 1856年に試作的に建設 |
| 建設を進めた主体 | 江戸幕府。江川英龍・英敏親子が尽力 | 萩(長州)藩 |
| 目的 | 海防に必要な大砲の製造 | 鉄製大砲の製造に向けた技術の試験 |
| 使用の実態 | 実際に大砲を製造 | 試験的な操業の記録があるが、実用化には至らなかった |
| 現在の姿 | 炉体と煙突が残る | 主に煙突部分が残る |
両方とも、2015年に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産です。同じ世界遺産の中で、西洋の技術を取り入れようとした異なる取り組みを伝えています。



下の写真を見比べてみて




韮山の写真で目を引くのが、外側を囲む格子状の鉄骨です。これは建設当時の設備ではなく、地震などから守るために後から取り付けられた補強です。1957年の大修理で設置され、1989年に更新されました。
萩では、石積みの煙突部分が印象に残ります。ただし、今見えている姿が施設全体ではありません。金属を溶かす炉の部分も含めて、どのように働かせようとしたのかを想像したいところです。
2つの写真を見比べると、造られた時代の違いだけでなく、何が残り、どのように守られてきたのかにも目が向きますね。
韮山は大砲製造を担い、萩は試作で技術を探った


韮山反射炉にある24ポンドカノン:筆者にて撮影
韮山反射炉の建設を進めたのは、代官の江川英龍です。その死後は息子の英敏が事業を引き継ぎ、佐賀藩の協力も得て完成しました。
オランダの技術書を読み、実際の設備にするには多くの苦労があったそうです。
一方、萩藩も佐賀藩から技術を学ぼうとしましたが、十分な技術伝授は受けられず、反射炉のスケッチを手がかりに建設を試みました。古文書には試作や鋳造の試みが記されており、現存する遺構は、その試作炉と考えられています。
ここは「韮山は動いた、萩は一度も動かなかった」と分けると誤解を招きます。萩にも試験的に操業した記録があり、違いは実用的な製造まで進んだかどうかにあります。
まとめ:実用と試作の違いから、技術を学んだ時代を見る
韮山反射炉は、大砲を製造した実用の施設。萩反射炉は、実用化を目指して試行錯誤した試作の施設です。
僕が面白いと思うのは、成果を上げた設備とともに、技術を身につけようとした挑戦の跡も残されていることです。
反射炉を見比べると、建物の形の向こうに、手探りで新しい技術に向き合った人々の仕事が見えてきます。
ということで、敬意を表して伊豆韮山代官の江川英龍(通称:たろうざえもん)を置いておきますね!


韮山反射炉にある江川英龍の銅像:筆者にて撮影
最後に地図も紹介。Googlemapによると韮山反射炉から萩反射炉までは車で10時間、電車で14時間と算出されていますが、僕の肌感はもっとかかります……





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