日光東照宮の北側、滝尾神社へ向かう森の中を歩いていると、水をたたえた四角い池とコンクリートの施設が見えてきます。
観光案内で大きく紹介される場所ではありません。
しかし、これは使われなくなったプールでも、庭園の池でもありません。
名前は「日光二社一寺浄水場」。日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺が共同で造った水道施設です。
豪華な社殿を見に来たすぐ近くに、飲み水を支える浄水場があるのは、少し意外に感じる人もいるのではありませんか?

筆者にて撮影(2026年5月)
日光にある二社一寺浄水場とは?
「二社一寺」とは、日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺のことです。
土木学会関東支部栃木会の資料によると、二社一寺浄水場は、この三つの宗教法人による共同事業として1925(大正14)年に造られました。設計と施工主任を務めたのは、元宇都宮市水道部技師の小林信常です。翌1926年6月に給水を開始しました。
東照宮から北へ約700メートル。
滝尾神社へ向かう道の脇にあり、約100年にわたる水道の歴史を伝えています。
| 項目 | 二社一寺浄水場 |
|---|---|
| 建設 | 1925(大正14)年 |
| 給水開始 | 1926(大正15)年6月 |
| 設置者 | 日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺 |
| 建設当初の計画給水人口 | 700人 |
| 計画1人1日最大給水量 | 140リットル |
| 世界遺産との関係 | 登録建造物ではないが、二社一寺の近くに造られた関連施設 |
一般的な市営浄水場と比べると小規模な施設です。けれど、規模が小さいから価値が低いわけではありません。
誰に水を届けるため、誰が造り、誰が管理してきたのか。そこに、この浄水場ならではの面白さがあります。

筆者にて撮影(2026年5月)
「日本最古の浄水場」と呼んでいい?
この施設は「日本最古の浄水場」と紹介されることがあります。
日本初の近代水道は、1887(明治20)年に給水を始めた横浜水道です。二社一寺浄水場の給水開始は、それから約39年後の1926年でした。
また、国内には二社一寺浄水場より前に造られ、歴史的な施設を残す浄水場もあります。そのため、「日本最古」という言葉は、少し誇張があるように個人的には感じてしまいます。
最初に造られた浄水場なのか?現役施設として古いのか?
所説はあるとは思いますが……
確実にいえるのは、大正時代に二社一寺が共同で整備した、約100年の歴史を持つ水道施設だということです。
水をきれいにする池には何がある?
現地で目を引くのは、たんまりと水を蓄えている池と、それぞれを区切るコンクリートの構造物です。
公開資料には、自然の働きを利用したろ過が行われてきたという紹介がありました。
砂を使った代表的な浄水方法に「緩速ろ過」があります。緩速ろ過とは、水を砂の層へゆっくり通し、砂によるろ過と、表面付近に育つ微生物の働きによって水をきれいにする方法です。
僕は浄水場の仕事にも携わることがありますが、砂を使ったろ過は、今ではみられないろ過方法だと思います。
| 緩速ろ過を見るポイント | 役割 |
|---|---|
| 水をゆっくり流す | 浄化に必要な時間を確保する |
| 砂の層 | 水中の濁りなどを取り除く |
| 砂の表面の微生物 | 水に含まれる成分の分解に関わる |
| 広いろ過池 | 処理速度が遅い分、必要な面積を確保する |
| 定期的な手入れ | 目詰まりした砂の表面を削り、水の通りを保つ |
ただ水を池へ入れておけば、自然に飲める水になるわけではありません。水の量や濁りを確かめ、ろ過の状態を保ち、設備を手入れする必要があります。
写真に写る池が現在どの工程を担当しているかは、外から見ただけでは断定できません。それでも、複数の池や水路がつながる様子から、水を順番に処理する施設であることが想像できます。

複数の池とコンクリート構造物が並ぶ浄水場内部
筆者にて撮影(2026年5月)
なぜ?日光市ではなく「二社一寺」が共同で造ったのか?
この浄水場の特徴は、自治体の都市水道としてではなく、東照宮、二荒山神社、輪王寺の共同事業として始まったことです。
三者は神社と寺院という違いがありますが、日光山内で隣り合い、同じ地域の水を必要としていました。
それぞれが別々に水源や浄水施設を持つよりも、共同で一つの仕組みを造り、必要な場所へ水を届けるという考え方です。
建設当初の計画給水人口は700人、計画上の1人1日最大給水量は140リットルでした。
うーん。少ないですよね……
現在の都市浄水場と比べれば小さな数字ですが、ここで必要だったのは大都市全体へ大量に水を送ることではありません。社寺と、そこで働き生活する人々に必要な水を確保することでした。
水インフラは、設備の大きさだけでは評価できません。必要な人へ、必要な量を、継続して届けられるか?その目的に合った規模であることが大切です。
世界遺産ではないがそれでも見る意味がある
世界遺産「日光の社寺」は、1999年に登録されました。登録対象は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に属する103棟の宗教建築と、それらを取り巻く環境です。
二社一寺浄水場は、この103棟に含まれる世界遺産の登録建造物ではありません。
それでも、世界遺産の近くですし、僕は見る価値、意味はあると思います。
東照宮の陽明門や輪王寺の建物は、見るための文化財です。一方、社寺が活動を続けるには、飲み水、電気、防火、道路、排水といった日常の仕組みも必要です。
UNESCOは、日光の社寺について現在も宗教活動が続く「生きた場所」であることを説明しています。
建物を残すだけでなく、そこで人が生きた活動もできる環境を支える場所。
その場所に、人間に必要な「水」が近くにあるのは、ごくごく自然なことのように感じます。
二社一寺には水道だけでなく発電の仕組みもある
日光の社寺が共同で整備した水インフラは、浄水場だけではありません。近くには、水の高低差を利用する滝尾発電所もあります。
現在の滝尾発電所は1955年に運転を始めましたが、二社一寺による水力発電の歴史は1914年までさかのぼります。
稲荷川から取り入れた水は発電だけでなく、山内の防火用水にも活用され、共同水道との間で水を融通する仕組みもあると報告されています。
| 水の使い道 | 二社一寺での役割 |
|---|---|
| 飲み水 | 浄水場で処理して必要な場所へ届ける |
| 電気 | 水の流れと高低差を利用して発電する |
| 防火 | 木造の社寺を火災から守るために備える |
同じ地域の水が、飲み水、電気、防火という異なる役割につながっています。
取水設備だけ、浄水場だけ、発電所だけを見るよりも、水源から利用先までを一つの流れとして見る。そのほうが、二社一寺を支える水インフラの全体像に近づけます。
水インフラの現場から気になること
僕はダムや配水場、水門などの電気設備に関わってきました。だから、この浄水場を見て気になるのは、古さそのものよりも、設備をどのように維持してきたのかという点です。
森の中にある施設では、落ち葉や枝の流入、藻類、土砂、凍結なども考える必要があります。屋外の池には日光や気温の変化が直接影響し、山の水は雨の後に状態が変わることもあります。
もちろん、ここよりも条件の悪い水関連施設はたくさんありますし、僕も「まじでここ?」と声がでるような場所がありました。
水を通す池が残っていても、それだけでは水道として働きません。水位や流量の確認、弁や配管の点検、ろ過池の手入れ、水質の管理がつながって、初めて水を送り続けられます。
古い施設を残すことと、使える状態を保つことは違う。
二社一寺浄水場の約100年という時間は、建設技術だけでなく、点検や清掃、補修を続けてきた時間として見ると、さらに重みを感じますね。
滝尾神社への道で、もう一つの日光を見る
二社一寺浄水場は、陽明門のように華やかな施設ではありません。外から見えるのは、コンクリートの池や小さな建物、フェンスなどです。
しかし、観光客が集まる社殿から少し離れ、滝尾神社へ向かう道を歩くと、社寺の活動を裏側で支える設備が見えてきます。

社殿から離れた滝尾神社方面へ続く道。
筆者にて撮影(2026年5月)
訪れる際は、施設内へ立ち入らず、通行できる道から見学してください。水道施設は見学用の展示ではなく、水を扱う管理施設です。
日光では、僕たちの通る道の脇の側溝に水が流れ、その水音は心地よく耳に響いてきます。でもふと「この場所の水は一体どこから来ているのだろう?」と考えてみるのも楽しいですよ。
二社一寺浄水場は、世界遺産そのものではありません。それでも、文化財を残し、人の活動を続けるには、目立たない設備と日々の管理が欠かせないことを教えてくれます。
豪華な社殿の近くに残る小さな浄水場。
そこには、日光を約100年支えてきたもう一つの歴史がありました。
- 土木学会関東支部栃木会「土木遺産マップ―日光二社一寺浄水場」
- 酒専門店 鍵や「御神水で仕込む酒~日光の名水と名瀑~」
- 東京都水道局「緩速ろ過」
- UNESCO World Heritage Centre「Shrines and Temples of Nikko」
- 全国小水力利用推進協議会「世界遺産の電力供給 日光二社一寺自家用共同組合電気事務所 滝尾発電所」
- 日光市「日光の社寺:東照宮」


コメント