三保の松原とクルシュー砂州はなぜ文化遺産?「描かれた海辺」と「村を埋めた砂」

富士山を望む三保の松原と、バルト海に細長く延びるクルシュー砂州。

どちらも砂と松がつくる美しい海辺ですが、世界遺産として評価された理由は、景色の美しさだけではありません。

三保の松原は、富士山とともに絵画や物語に繰り返し登場してきた場所。一方、クルシュー砂州には、村を埋めるほど動いた砂を、人々が植林などで抑えてきた歴史があります。

一方は、人が描き、語り継いだ海辺。もう一方は、人が暮らしを守るためにつくり直した海辺です。

今回の記事では、二つの世界遺産から松林の見え方についてお伝えします。

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目次

【三保の松原】富士山野構成資産として登録

三保の松原は、単独の世界遺産ではありません。2013年に登録された「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産、つまり世界遺産を形づくる場所の一つです。

対して、クルシュー砂州は、リトアニアとロシアにまたがる一つの世界遺産として、2000年に登録されています。

比較する点三保の松原クルシュー砂州
場所日本・静岡県静岡市リトアニアとロシアのバルト海沿岸
世界遺産での位置付け富士山の構成資産砂州全体が一つの登録資産
遺産の種類文化遺産文化遺産
価値を知る手がかり富士山を描く芸術や信仰との結び付き動く砂に対応してきた暮らしと土地の管理

どちらも自然の風景に見えますが、評価の中心には、その場所と人との長い関わりがあります。

三保の松原が富士山の世界遺産に含まれる理由

三保の松原は、富士山頂から南西へ約45キロ離れています。

それでも構成資産なのは、富士山をどのように眺め、描いてきたかを伝える場所だからです。

歌川広重の『富士三十六景』には、1858年の「駿河三保の松原」があります。現在、メトロポリタン美術館に所蔵されている作品です。

「富士山の絵なのに、題名は三保の松原」。

ここに、この場所の意味がよく表れています。富士山は山体だけを切り取って描かれるのではなく、離れた海辺や人の暮らす場所とともに鑑賞されてきました。

もちろん、富士山が見える場所ならどこでも世界遺産になるわけではありません。三保の松原では、こうした芸術上の結び付きに加え、羽衣伝説などの物語が、土地のイメージを育ててきました。

天女が羽衣を掛けたという伝説は、能の「羽衣」などを通じて広まり、三保は物語の舞台としても親しまれました。登録範囲には松原だけでなく、御穂神社や、神社と海辺を結ぶ松並木「神の道」も含まれます。

そのため、曇って富士山が見えない日でも、この場所の文化的な価値がなくなるわけではありません。松原を歩き、物語と土地のつながりを感じる楽しみが残っています。

【クルシュー砂州】砂が村を埋めた

クルシュー砂州は、長さ約98キロメートル、幅約400メートルから4キロメートルの細長い砂の陸地です。バルト海とクルシュー潟を隔てています。

「潟」は、砂州などで外海と隔てられた水域のことです。

地図で見ると、その細さに驚かされます。しかし、この土地で暮らしてきた人々にとっては、美しい眺めだけでは済まない場所でした。

木が減ると風が砂を運び始めた

砂地では、植物が地表を覆い、根が砂を押さえています。ところが、森林の伐採などで地表が露出すると、乾いた砂は風で動きやすくなります。

クルシュー砂州では、伐採や放牧などによって植生が失われ、動く砂丘が集落を脅かしました。砂に埋もれ、住民が移り住まざるを得なくなった村もあります。

砂浜で足跡が風に消される程度なら、のどかな光景です。しかし、同じ砂の移動が長年続き、家や畑に迫ってきたらどうでしょう。人々にとって砂を止めることは、暮らしを守る切実な課題でした。

森は砂との闘いの跡でもある

19世紀には、砂の移動を抑える対策が本格化しました。植林に加え、枝などを使った柵や、海岸沿いの砂丘の整備によって、風が内陸へ運ぶ砂を抑えていきました。

そのため、現在の景観には自然の働きと、人が土地を守ってきた努力が重なっています。森を見ているつもりで、暮らしを守るための歴史も見ている。それが、この砂州を文化遺産として眺める面白さです。

【三保の松原】松葉かきの必要性

三保の松原にも、人の手が欠かせません。

三保の地形は、川などから供給された砂や礫が、波によって運ばれ、積み重なってできたものです。その上の松林も、長い歴史の中で伐採や植え直しを経験してきました。明治期や戦中・戦後には木が切られ、その後、地域の人々が植林を進めています。

昔からある名所でも、今の一本一本が、手つかずのまま残ってきたわけではありません。

松林の手入れで意外なのが、落ちた松葉を集める「松葉かき」です。

かつて松葉は、かまどや風呂をたく燃料として利用されていました。暮らしのために集めることが、結果として松林の環境を保つ役割も果たしていたのです。

松は、日当たりのよい、比較的やせた土地で育ちます。松葉が積もって分解され、土が肥えると、ほかの植物が育ちやすくなります。それらが茂れば、松に必要な光も届きにくくなります。

そのため、松葉かきや下草刈りは、見た目を整える掃除以上の意味を持ちます。松が育つ条件を保つ手入れなのです。

松を増やせば守れるのか?

ここで気を付けたいのは、「松が大切なら、たくさん植えればよい」とは限らないことです。

クルシュー砂州では、森林だけでなく、開けた砂丘も価値ある景観の一部です。すべてを森に変えればよいわけではありません。

三保の松原でも、松の本数を増やすだけでなく、密集した場所の調整など、育ち方を考えた管理が必要です。

さらに三保では、海岸の侵食への対策と、富士山を望む景観の両立も課題になってきました。静岡県は、砂浜を守る対策を進めながら、羽衣の松付近で景観に影響する消波ブロックを段階的に撤去する取り組みを紹介しています。

何を残し、どこに手を入れるか。美しい景色を受け継ぐには、その判断を続ける必要があります。

二つを比べると、海辺の見え方が変わる

見るポイント三保の松原クルシュー砂州
景色に重なる歴史富士山を描き、物語にしてきた歴史砂の移動から暮らしを守ってきた歴史
松林が伝えること名所を受け継いできた手入れと植林砂を抑える工夫と土地の管理
保全で考えること松原・砂浜と眺望をどう守るか森林・砂丘・集落をどう受け継ぐか

三保の松原を訪れたら、富士山だけでなく、その手前の松林にも目を向けてみてください。描かれてきた景色を、今も人が手入れして受け継いでいます。

クルシュー砂州では、砂丘と森の境目に注目すると、人々が動く砂と向き合ってきた歴史を想像できます。

二つの海辺に共通するのは、自然の美しさの中に、人の営みが残っていること。それが、文化遺産として見る面白さです。

参考文献
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この記事を書いた人

◇世界遺産検定マイスター
推しの世界遺産は「フィレンツェ歴史地区」。小説の中に迷い込んだかのような美しい空気感が魅力的でマーブル紙も有名。

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